たかがカーテンされどカーテン

リビングの奥に元書斎があり、現在は障害のある夫が起居しやすいようそこにベッドが置いてあります。その部屋のカーテンですが、25年も前にスーパーで購入した安物がそのままぶら下がっていて、かねてその褪せた色とヘラヘラ感が気になっていたのですが、残りの人生もう少し良質のカーテンと付き合いたいと、とうとう替える算段を始めました。

カーテンの専門店へ行き、数点候補を選定し、そのサンプルが今家に送られて来ています。

本題はここからです。私の趣味の柄を家族(夫と息子)に伝えるたびに、拒絶モードが部屋中漂い、「カーテンは無難なものにしたほうが良いよ」と息子から説得され、それに夫が笑顔でうなずくというわけです。

私が心に決めていた柄は、届いたサンプル数点を息子に見せたときに、彼が真っ先に排除した柄でした。

「えっ、これどういう感じに思うの?」と聞くと、「重すぎ。上流家庭の高級家具で整った部屋なら合うような柄だよ。」とバッサリ。

確かにそう言われてみれば、夫のベッドが置いてある安普請の部屋ではミスマッチかもです。でもでも、「無難の良さはわかるけど、いかにもカーテンていうのもつまらないじゃん。」と揺れる私。

自分の趣味をハタと考えてみたとき、夫選びからして問題ありか、なんてまあこれは冗談として、洋服の選び方などは確かに失敗ばかりです。音楽の作り方も頭で考えたことと感性がちぐはぐするときがあるんだなあ。私はついつい無難な感じや真面目な折り目正しさを避けて面白いセンスや自由な発想に惹かれてしまうのです。そして、これが自分自身の経済的制限が大きく存在する生活の中で結局はどこかしっくりマッチしないわけです。

これはつまり、私自身が未熟な人生観とセンスの持ち主なのか、それとも未だ自分自身になりきれていないのか、おそらく両方なのでしょう。自分を見つめるこの頃。