コール・エーデルワイス

与野で活動している女声コーラスグループ、「コール・エーデルワイス」は私が16年ほど前から指導している団体です。私にとっては、初めてコーラス指導ということを始めさせていただいた大切な団体です。

16年前は50、60、70代でいらっしゃった団員も今では60、70、80代となられ、それでも今なおお元気に美しい声で歌ってくださいますから、いやあこれは指導が良いのですね。ナンテ自画自賛!実は皆さん健康第一に凛と生きていらっしゃるからですね。

とはいえ、今年度から残念ながら長年参加してきた埼玉県の合唱連盟を脱退しました。というのも、合唱祭が行われる会場までの道程が電車を乗り継いでたくさん歩かねばならず、それがしんどいという方が増えてきたからです。ただしその代り、地元での活動を楽しもうと、今年は与野音楽連盟主催のコンサート、いつも利用している公民館での公民館祭り、そして私の主催する「大人の発表会ブリランテの会」(9/25 彩の国さいたま芸術劇場)へ参加することになりました。

身の丈の本番があることで、今まで同様に生き生きと活動出来ています。

ところで、嬉しいことがありました。コール・エーデルワイスの団長さんがホームページを作成してくれたのです。

若く頼もしい団長さんに感謝です。

これを機に新たな発展が絶対ある!と祈りつつ、私も更に頑張ろうと元気が出たのでした。

どうぞご覧ください。→コール・エーデルワイスのホームページ

一気読み

本を読み始めるとすぐ寝てしまう私ですが、今月珍しくこの2冊は一気に読みました。

  

池井戸作品は明快な勧善懲悪的な展開が好きです。今回もいつものように、サラリーマン社会の表と裏の事情の矛盾を誰がどう判断し、どう暴かれていくかの展開なのですが、これまで読んだ彼の作品よりも、悪と思われる事情が単純では無く、誰でもが陥りそうな過ちでもあるため、どの人物像にも人間的な共感が深まり、とても面白かったです。

また、私の仕事とは全く違う社会での話だからこそすんなりと楽しめたとも言えるかもです。

トットちゃんは、これはもう本当に久しぶりに笑いました。ユーモアのセンス抜群です。書かれているたくさんの失敗談が、読み終えた後も思い出して想像するだけで笑えてくるのですから。

そしてトットさんが多くの人を見つめる眼差しが素敵です。温かさのある真っ直ぐな眼差しが彼女の魅力なのだなと思いました。

ところで人間的な大きさは雲泥の差ですが、失敗談だけは私も負けず劣らずなので、その点も癒されました。

音符

5線の譜面に並ぶ音符を見て、階名で反応出来、メロディ等の横ラインを階名で歌えることは、演奏の練習のとき大切と思います。

最近気づいたのですが、アマチュアの楽器奏者の方で、階名は頭の中には無く、譜面がそのまま楽器を演奏する手の位置へと直結され、あとは耳で判断という方が案外いらっしゃいます。コーラスの方たちも、譜面の図柄とあてはめられる文字と耳とで音高を判断され、階名は頭の中には無い方が結構多いようです。

音楽の専門学校ではこれは有り得ないわけですが、アマチュアの方にとっては、いちいち階名を唱えるのは大変な労力ですから、とりあえずそれで演奏を楽しめれば良いのだと思います。

ただし、これは限界があると思うのです。

理論が理解出来ないのではないかと思えるからです。

主音は、主調は、主和音や属和音は、音程は、テーマがどのように変化しているかなどなど考えるときに、階名という言葉で表せないため、理解しづらくなるのではないでしょうか。

ピアノ教室の子供たちにも階名唱苦手さんがいらっしゃいます。毎回ソルフェージュをしたりしていますが、昨日は、更に徹底したく、グッズを手作りしてみました。

とりあえず3度音程が読めるよう、和音の形にしたカードを作りました。

これでどうかな。音楽を愛する皆さん階名読みに慣れましょうね。

 

我が家のスピーカー

結婚してすぐに、奮発して買ったスピーカーがTANNOY(タンノイ)のスピーカーです。秋葉原のオーディオ専門店へ二人で行き、いくつか聞き比べた中、このスピーカーのしなやかな音がとても気に入り、予算オーバーながら決断しました。イギリスのメーカーです。

マンションの狭い居間に置いたこの大きなスピーカーの音で我が子たちは育ったと言えるかもしれません。現在のさいたまに引っ越して、そのスピーカーはピアノの部屋に置かれましたが、子供たちの成長とともにそれぞれが自分の機器で聞くようになると、次第に夫専用のようになっていきました。(私はピアノの部屋で練習をしたり仕事をした後は、同じ部屋で音楽を聴いてリラックスタイムとはならないわけです。気持ちが切り替わらないので。)

その夫が倒れたとき、家の中を総決算整理をしましたが、タンノイのスピーカーも今風のコンパクトなものに変えたいと何度となく迷いました。

さて、先日、総決算整理第2弾ということで思い切って、このスピーカーを夫の寝室へ移動しました。大きいので業者さんを頼みました。(代わりに壁1面の本棚も移動しましたから結構な労力でした。)

夫の寝室はリビングとつながったその奥ですから、寝室はもちろん、リビングでもダイニングでも十分に聞くことが出来るという効果をねらったのです。

これが大正解でした。40年経ったタンノイのスピーカーが生き返りました。すごく良いです。いくら聴いていても飽きません。家事をしながら、ふと休みながら、いつでもずっと聴いていたいくらいなのです。

夫が倒れてこの10年ほどは、夫がリビングで聞く、ポータブルCDプレーヤーの大音量オーケストラの音がうるさくて、本当に辟易していたものですが、今はこうも違うものかと思うくらい、音楽のある空間が喜べます。

美しい音というのもがこんなに身体になじむものかと実感しています。気付かないまま、なじまない響きに囲まれる不快感というのもあることも知りました。

ミニミニコンサート

昨日は、所属している与野音楽連盟での総会があり、参加してきました。この連盟では以前は理事をしていたこともあるのですが、夫が倒れて以降は普通の個人会員とさせていただいています。ただ、古い友人たちのおかげもあり、なんだかんだ折に触れイヴェントを楽しませていただいています。

昨日も、総会後に行われる恒例のミニコンサートへ出演させていただきました。久しぶりにピアニストの顔での出演です。声楽の伴奏でした。

バスバリトンのイケメンの秋葉氏と共に、「人形の家」(弘田三枝子の歌)、「In Questa Tonba Oscura」(ベートーヴェン作曲)、「大切なもの」(山崎朋子作曲の合唱曲)、「Tonight」(バーンスタイン作曲のミュージカル曲)というバラエティに富んだジャンルの4曲でした。

4曲目の「Tonight」は理事をされている美しいソプラノの河口さんとのデュオで締めくくりました。

久しぶりに声楽の伴奏をしましたが、演奏中は楽しいひと時でした。この演奏は結構好評でしたので、嬉しいひと時ともなりました。曲目が肩が凝らずに良いでしょう。「人形の家」は若い方から日本歌曲ですかなどと聞かれることがあると秋葉氏から聞きました。マイナーの悲しい色調の歌謡曲なのですが、さらりと盛り上げると素敵に聞こえるところが面白いところです。

「Tonight」は準備段階でyoutubeを参考に見ましたが、原曲は若々しくて素敵でした。私が初めに自分なりに想定したテンポはちょとオバサンくさいことがわかり、その後修正しましたが、当日は歌手のお二人の若さと上手さにも刺激され、演奏中は私自身もぐーんと若返りました。(演奏中のみね)でも、こうして日常(介護の)を忘れられる時間を持てることはつくづく嬉しいことでした。

ただし、昨日は写真を撮っていただいたり、動画や録音を撮ったりの余裕は無し。

久しぶりの本番でしたからね。そこがちょいと未熟。

花の連休

今年の連休は花づくしでした。広告の美しい花々の写真を見て、渋滞とわかってはいても行きたくなりました。

まずは、秩父の羊山公園へ芝桜の丘の見物です。ここへは私の運転で夫と行きました。早朝なら渋滞も無いだろうと、朝6時に出発すると、案の定すいすいと走り8時に到着できました。

あの世の入り口で見るというお花畑とはこんなところかしら、などとふっと頭をよぎる、みごとな美しさでした。

そして次は、長女を誘っての、はとバスツァーで、茨城の海浜公園で山全面のネモフィラのお花畑、続いて足利フラワーパークで藤の花々を見てきました。

これも素晴らしい眺めに感動しました。かなりの渋滞でしたが、はとバスツアーですから乗客はのんきに乗っていれば良いだけですので、見学後の感動の大きさと比べれば、俄然行って正解でした。

今回のフラワーパークのそれぞれについて、観光客を呼びこむ発想や準備や手入れや運営方法等大変な労力がかかっていると思われますが、その熱意が大成功している点も凄いなと感じました。

印象に残っているので忘れないよう記しておきたいのは、ガイドさんから聞いて知ったのですが、足利フラワーパークの樹齢150年という巨大な4つの藤は、10年ほど前に、誰もその移植を引き受けない中、唯一引き受けた塚本こなみさんという女性樹木医が、新発想を取り入れて移植を成功させ、その後の入念な手入れのおかげで素晴らしい姿を保ち生き続けているのだそうです。10年で300畳から600畳までに成長したそうです。

帰宅後塚本こなみさんを検索してみたところ、やはり大変素晴らしい方でした。美しいものを全身全霊で作りだし喜んでいただく、そんな発想を徹底する生き方をなさる方でした。

笑顔

昨日は、南浦和のさいたま文化センターにて、「レッツ・スィング」と「春の合唱祭」(合唱浦和の会主催)へ出演してきました。(午後の部)

昨日は、自宅でのピアノレッスンもなく、午後の部の22団体を全部聞くことができました。

始めは招待演奏として「浦和第一女子高校音楽部」による演奏でした。さすが、声も自然な美しい響きで揃い、表現も多彩であり的確で大変良かったです。特にビーブル「AveMaria」は素晴らしく、感動しました。

続いてそれぞれの団の発表です。この会には10年近く出演していますが、やはりどの団体も高齢化は否めないという印象でした。

我々「レッツ・スィング」は結成された15年前から高齢者グループでしたから、今では「高齢者合唱サイトへようこそいらしゃいませ」の気分です。

全体を聞いて、我が身の為にも書いておこうと思うのですが、高齢の方々の顔の表情が乏しいことが気になりました。もちろん音楽ですから、音としての音楽的な響きや流れや表情が大切なのですが、アマチュアの高齢者にとってはプロの方のそれら表現技術へはとうてい届くことの出来ない大変な距離があるわけです。

小学生くらいの子供は純真な声の響きと心で、ポカンとした顔で歌っても魅力的です。次第に大人になるにつれ、音楽の表現とともに自然に顔の表情もついてきます。

ところが、高齢者となると、何を表現するのかわかってはいても、顔だけは無表情なのですね。これ、わかります。まず余裕がない。家で家事等の雑用、介護、家族の心配、我が身の心配、いろいろ抱え、残り少ないキャパシティで顔まで考えていられないわけです。

でも、せっかく素敵なドレスを着て、明るく華やいだ曲や名曲を仲間と一緒に歌っているのに、さわやかな表情も喜びの表情も笑顔もないのは聞く方としては寂しいです。そのまま衣装を変えれば、お葬式でも相応しいような団体もいらしたかな。

というわけで、他人ごとではない私は、とにかく普段から笑顔を忘れないようにしようっと、と言い聞かせながら帰宅したのでした。何事があっても!

さくら

今年は新学年の日に桜が満開だったようですし、小学生の生徒さんがいつもより何となく嬉しそうにレッスンに来てくれて、新しいクラスのことなどをチラッと話してくれます。これからの希望や期待を膨らませている様子が伝わり、こちらもなんとなくほわっと嬉しくなります。

桜は、大人にとっても春からの心地良い未来みたいな、そんな幻想というのか希望というのか、哀れを隠した華やかさみたいな情緒をも感じさせてくれますから毎年見ないわけにはいきません。

今年は、まず散歩コースの市民の森、そして、車を走らせて見沼自然公園(これら市内近場は夫と一緒)、そして、レッスンが無かった火曜日午後は電車に乗って駒込の六義園へと行ってきました。駒込は長女が住んでいて、その日は二人で気持ち良く散策出来ました。

  

そう言えば、夫の新しいデイサービスの名前も「さくらいろ」。今年度がずっとさくらいろのようでありますように!

コンサート終える

先週の土曜日に、ピアノ連弾とコーラスの指揮で出演したコンサートが無事に終えました。3日目に疲れが出る年頃ですから、今日がその日です。案の定、午後はレッスンも無く、夫の通院に付き添い、病院の椅子で長時間待っているとひたすら眠く、ウトウトしているうちには、楽しかったコンサートの余韻はすっかり消え失せました。

思えば、今回のコンサートは、私は夫の介護問題、連弾の相方もご両親の介護問題、コーラスのかたがたもそれぞれ多かれ少なかれ、自分の健康と家族の介護問題を抱えつつの準備だったかと思います。

しかし、だからこその現実を忘れられる楽しさというのか、舞台の時間は貴重だったと言えます。

ドレスとアクセサリーで身を飾り、メイクも濃い目、髪もカールさせ、姿勢を整え、笑顔を作り、さあてと音楽の世界に入り込みます。豊かな音楽に包まれます。介護など無縁だった頃には考えられない心境なのですが、演奏中の時間というのは素晴らしい時間でした。

また、コーラスの方々が大変生き生きと美しい音楽を歌って下さったことも、指揮をしていた私としては幸せでした。皆さんの努力の結晶がとても美しく感じられたのです。

さあ、疲れを癒して明日からまた次なるハレの日を目指します!

 楽屋で連弾の相方と

第1関節とタッチ

26日のコンサートでモーツァルトの連弾を弾きますが、その練習を重ねてみて、自分としては新たな発見が結構ありました。ソロの曲では気付かなかった事かもしれません。

新たな発見の一つはタッチで、それは指の爪のところの第1関節をぐにゃっとさせて弾くタッチです。鍵盤に当たる面積を広くします。

これはこれまでもアルペジオのような伴奏の形や印象派の曲などで使ってはいましたが、モーツァルトでは使ったことはありませんでした。

私は連弾でファーストという高音側を受け持つため(ソロ曲より高音が多い)、右手は普通に弾けばクリアな響きになるものの、どうしても音色が均一になってしまい、セカンドの人の左手低音とミスマッチだったり、全体のメリハリも付きにくく、また左手の伴奏も高音部になるため、普通に小さく弾いてもクリアすぎて不満がありました。それで試しにこのタッチを音楽的に柔らかくしたい部分で使ってみました。結構高音部に軽さや柔らかさの変化が付くことがわかり、発見でした。

これは今後応用できると思いました。

普段、「ピアノの基礎」という大義のもと、生徒にはいつでも第1関節がぐにゃぐにゃしないよう注意しているのですが、要は腕が楽になっていることとそれぞれの関節に力が入りすぎないこと、そして(特に手の小さい人には)第3関節のフォームが大事な基礎であって、第1関節に関しては、「どういう音が欲しいか」を考えてみることのほうが大切なのかもしれません。