幻想ポロネーズ

明後日10月24日(土)に上のチラシのようなコンサートがあり、出演します。

さいたま近隣の音楽講師の方々のコンサートなのですが、私は久しぶりにソロの大曲に挑戦します。ショパンの「幻想ポロネーズ」です。

この曲は、ショパンが、自身の人生における過去現在未来へ向け時空を超えて幻想を繰り広げていくかのような曲です。和声もメロディも複雑に変化するなかで、ポロネーズのリズムが随所に現れ、祖国への想いが幸せな思い出であると同時に悲痛な想いでもあることを窺わせます。

私としては中間部の深い霧が立ち込めたような後の、嬰ト短調で始まるゆったりした美しい憂いを込めたメロディの部分がこの曲のメインと感じています。映像的には、この部分は、ショパンの母が現れたと感じています。(基調が変イ長調で、この部分は異名同音の同主短調なのでとても近い関係であることからも「母」を感じています。)

母は優しく微笑し、すべてを許し、ショパンに力を与えてくれているのです。

その母は両手のトリルで光に包まれ、霧の中へ消えます。そして冒頭でフォルテの短調で始まった序奏がここでは冒頭とは違い希望の光が差すかのように、半音上がり長調を暗示してピアノからフォルテへと再現されます。(*この再現の弱音で始まる和音は調性を決める第3音がぬけているところが意味深。)

が、この後ショパンは終結部へ進まず再び母の幻影を登場させます。お互いが別れを惜しむかのように。(ここは6小節の短い幻影ですが。)

幻影を(サブドミナントの美しい和音で)見届けた後、徐々に力を増してゆき、意を決したように力強く終結部へ入ります。

これはあくまで、私自身の妄想ですが、我ながら気にいっている妄想です。

今回、ソロ曲を久しぶりに真剣に取り組み大変有意義でした。とても勉強になったことを実感しています。

さあて、明後日は頑張ろうっと思っていた矢先、こういう時に限って…ギャー!晩御飯の準備中、左ひとさし指の爪を包丁で削ってしまいました。相変わらずです。でも生肉が透けて見えるものの爪止まりで良かった。弾けます。

怪獣のバラードを歌う

昨日は、レッツ・スィング毎年恒例の「浦和秋の合唱祭」出演日でした。

この合唱祭は、当日のリハーサルがなく、客席待機席からそのまま舞台袖の通路へ、そして舞台袖で1団体待ち舞台上へという流れです。

熱心な団体は、合唱祭の集合時間に間に合うよう必ず当日他の練習場所と練習時間を確保すると聞きます。当日取れない場合は、前日には必ず確保するのだそうです。

我々は団員の意向により、毎回当日ぶっつけ本番です。

従って、舞台袖通路の待機時間が大切なカギとなります。この待機時間は絶対トイレへ行かないようにとお達しを出しておきます。

通路での待機中に、これから歌う曲の流れと歌詞を皆で声を出さずに確認するわけです。

私は、この時、息も出さずにのどを開けて頭の中だけで歌うよう指示します。このほうが横隔膜が使えるからです。

さてしかし、昨日は、「怪獣のバラード」の速いテンポとゴスペル調リズムをどうしても身体に覚えていただきたく、この待機時間は息を出しながらの必死の確認となりました。

迎えた本番。ピアノの前奏が調子よく流れます。続いて「真っ赤な太陽~」よしっいい感じで乗れました。裏拍もいいよ~その調子。そして最後の「ヤー!」で拳を上げて終えると、この1曲目でなんと会場から拍手をいただけました。良かった良かった、シニア世代、かっこよく乗れたね。

2曲目は、本当はこちらが本命でしたが、「ふるさとは今も変わらず」です。これは新沼謙治さんが、震災の復興へ願いを込めて作った、4分くらいの心温まる歌です。

まあまあ普段通り歌えたのですが、案外、あの手この手で準備した「怪獣のバラード」のほうが良かったような。

こちらの曲は次回は暗譜して、しっかり発声をすることが目標ですね。

ともあれ、楽しい本番のひとときでした。

レッツ・スィングの皆様お疲れ様でした。