ピアノコンサートへ出かける

今月は15日にさいたま芸術劇場でピリス、23日にさいたま市プラザノースホールでアンナ・ヴィニツカヤのコンサートへ出かけました。

ピリスはもう70代になるのですね。若い頃は彼女のモーツァルトや、室内楽の演奏を繰り返し聴いては憧れました。大好きなピアニストの一人です。

今回は20代のピアニスト(グーアン)との共演で、連弾をはさんだコンサートでした。

プログラムと終演後のトークでも強調されたのが、彼女のメッセージです。そのメッセージを私なりに解釈すれば、「あらゆる芸術と同じように、音楽も人間を人間らしく生かせる神の恵みのような奇跡である。人智を超えたこの繊細な神秘の意味や意義が大事であり、そこに真の価値がある。試験やコンクールは芸術の目的や本質ではなくリスクすらある。」です。

彼女は、世代を超えた演奏者との癒合により、それぞれが時空を超えて音楽の奇跡(GRACEと名付けていました)を成就するというプロジェクトを立ち上げたそうで、今回のコンサートもその趣旨に沿ったものでした。

共演した若手のグーアンは、派手さはないけれど躍動感がありながらバランスよくまとまった演奏をするタイプと思います。連弾(シューベルト)はピリスに良い意味で影響されながら、自由に音楽をしている感じもあり、ピリスの趣旨が楽しめました。

私がこの日最も感銘を受けたのは、ピリスの弾いたベートーヴェンソナタ31番でした。心から歌わせるピリス節と響きが染み込んできました。「神の恵み」だったと思います。

アンナ・ヴィニツカヤのほうは、1983年生まれで全くタイプが違うピアニストですが、こちらも素晴らしかったです。

何と言っても初っ端のバッハのシャコンヌをブラームスが左手の為のピアノ曲として忠実に編曲したもの、これが圧巻で、度肝を抜かされました。

最後に弾いたプロコフィエフが得意そうなスケールの大きなピアニストです。

こちらのコンサートの場合、残念だったのは、あーあっ、夫がまだ入院中のせいか、日頃時間に追われているせいか、座ると睡魔に襲われてしまったこと。格闘せずに聴きたかった。のでした。トホホ。

さて、何歌おう

先月24日、ショパンの「幻想ポロネーズ」を弾いた本番の日は、お蔭様で無事に終わりました。聴いてくださいました方々有難うございました。自分としては、まあいろいろありますが、皆様に褒めていただき、一山登り終えたようなホッとした感じでおります。

さて、その24日以来2週間経つわけですが、この間なんとも船酔いしそうな波乗りの日々と言いますか…。

この歳になると、人生いろいろありますね。(夫の身体の事件だったのですが。)

まあ、それでもなんとかなるように落ち着き、生きていますが、落ち着いてみると、今、私が考えなくてはならない問題が山のようにあることに気が付きました。身辺の雑用から、仕事の準備のこと、人生のことなどなど。

昨晩などは、そうそう、来月コーラス団「レッツ・スィング」の15周年記念パーティがあり、そこでサプライズで私が歌うのだったと、その曲を決めていないことに気が付きました。

以前、子供たちにそんな話をしたときに、クラシックの曲を下手に歌ってもおもしろくないとアドヴァイスされ、候補曲をメモしてくれたことがありました。

引出に保管しておいたそのメモを取り出し、寝ながらスマホで1曲づつ吟味したのですが…。

我が子よ、ちょっと、…ハードル高すぎだよ。

「二億四千万の瞳」(郷ひろみ)

「夜桜お七」(坂本冬美)

「君はバラより美しい」(布施明)

「時の流れに身をまかせ」(テレサ・テン)

「あったかいんだから」(クマムシ)

「赤いスイトピー」(松田聖子)

とは言え、何にしようかなぁ、と考えを巡らせているうちに、いろいろな曲に元気をもらえ、やはり、仕事を大切にしていくことで、私の人生の船酔いが直りそうだなと感謝したり。