年の瀬

今日は午前中にレッスンをして、今年の仕事はこれで終わりました。

午後は庭の伸びたまま放ったらかしとなっていた木の枝を切り、それらをごみ袋にまとめ、夫の病院へ行き、その後買い物をして帰宅し、夕食後はとりあえず夫のいない家でのんびりとこの1年を振り返りました。

振り返れば大きなこと小さなこと今年は本当にいろいろありました。が、落ち着いて考えられる今、私としては、「もう一度原点に戻ろう」の気持ちです。仕事のことも、家族のことも、その他のことも。

そう言えば、病院で毎日CDを聴いて過ごしている夫が、昨日はブレンデルの若い頃(たぶん30代)のベートーヴェンソナタを聴き、中でも30番が群を抜いて素晴らしくとても感動したと言っていました。

私が先月ピリスで31番を聴いて感動したよと伝えると、夫はそれらのメロディを思い出しては泣き出しそうになるのです。

今年は私も、ベートーヴェンの後期のピアノソナタをあらためて聴いて締めくくろう。

お楽しみ会

昨日は子供の生徒さんのお楽しみ会でした。クリスマスが近いので、クリスマスの歌を皆で準備していたこともあり、可愛いサンタさんのコスチュームで来て下さった生徒さんもいました。

歌を歌ったり、ピアノを弾いてもらったりしたあと、「くるみ割り人形」のお話を絵本を見てもらいながら話し、CDをお話に合わせて流しました。

絵本は講談社の堀川理万子さんの絵によるもので、全てのページがバレーを描いた素敵な絵なので音楽にぴったり合いました。

皆、目を輝かせて真剣に聴いてくれて、私も幸せな楽しいひと時でした。

歌も難しい

「レッツ・スィング」が15周年と忘年会を兼ね、24日にパーティーを開催します。その企画段階のとき、「私、歌おうかしら」などと場を盛り上げるつもりで宣言してしまったは良いものの、当日が近付くにつれ、次第にプレッシャー到来です。曲を決めて、歌詞を覚えつつ乗って歌っていた頃が花でした。今では不安のほうが増大してきています。

私は歌は好きですが、人前で、しかも一人で歌を披露するのは生まれてこのかた1度も無いのですね。

そしてなんせ、か細い声帯なもので、ピアノのように、繰り返しを徹底するような練習は出来ないのですね。

大丈夫?ピーンチ!

えーい、こうなったら、あとは運と歌の神様に任せ、当日はドレスだけでも楽しんでいただこ。

チラシは団長さんが作成してくれました。笑ってしまうような楽しいチラシです。

モネ展

マルモッタン・モネ美術館所蔵のモネ展(東京都美術館)へ先週金曜日に行ってきましたので書いておこうと思います。

9時30分開室ですので、それに合わせて出かけました。平日だったこともあり並ぶことなくすんなり入室でき、じっくり絵と対峙できました。(見終えて出るときは、これから入室する人がずらーっと入り口から並んで大変混雑していましたが。)

以前からモネの絵は好きですが、昨年山形へ旅行した際、山形美術館でモネの「睡蓮」を見た時に、その素晴らしさを心から実感できました。というのも、クールベ、マネ、ピサロ、シスレー、セザンヌ、ルノアール、ゴッホ、ユトリロ、シャガール等の名作がたくさん展示されている中、どれも素晴らしかったのですが、やはり「睡蓮」の光と色彩と存在感は特別に思えました。(この時はほとんど観客一人でしたから、贅沢にじっくり見比べつつ味わえたのです。)

今回のマルモッタン美術館のモネ展では、モネの生涯を知り、さらに理解が深まったようにも感じています。

その色彩と構図の温かさ、大胆さ、バランスは、やはり家族を愛し、自然を愛し、人生を愛し全うした人であったと思えました。不条理や病んだ感情を表出するタイプの芸術家ではないのです。

晩年の抽象的な作品も初めて見ました。70代、80代では奥さんを亡くし、長男を亡くし、友人を亡くし、自らの目も悪化します。

そんな晩年の抽象的に描かれた絵は、現実の形を超越し、その色彩と魂だけが作品として存在しているかのようでした。遠くから眺めると、ぼんやりと形も浮かび、そしてそれがとても美しいのです。その美しさに癒されました。

モネの死後、ご家族が大切にされてきた絵であることがわかる気がします。

作品の題材の池や花は、モネ自身が創作した自宅の庭だそうですが、一流の芸術家は凝り始めると、庭でさえもこうも凡人と違うものかと、そんなことも感じました。温かな人間味のある偉大な天才だと思います。