井上陽水「少年時代」

ゴールド混声合唱団「レッツ・スィング」で只今「少年時代」を混声3部で歌っています。レッツ・スィングの方たちは、ビートルズをこよなく愛しているというベビーブーム世代の60代の陽水よりは微妙に世代が上で、終戦後の復興する昭和をしっかり生きてこられた世代です(ほとんどが70代)。曲の解釈としてその世代間の意識の差を含め、陽水の世界を言葉で伝えようとすることの難しさに苦戦します。

そもそも歌詞が理屈ではなく、とても感覚的です。こうだから悲しい、こうだから空しい、単純にノスタルジックに少年時代が懐かしい、ではないわけです。

はじめからして、「夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれにさまよう~」と歌いますが、風あざみは陽水の造語で、あこがれにさまよう?何が?という感じですから、皆で意見を出し合いつつ考えていると時に笑ってしまいます。

「夢はつまり 思い出のあとさき~」、この部分も、ある方から、夢が思い出の中に詰ってあとにもさきにも行き場がなくなったのですか?と聞かれたときは、そんな受け止め方もあるのかと、少し驚きました。

この方のですと、「つまりは人生、思い出未満」そんな解釈になるでしょうか。

私としては、「夢というものは、いつも思い出とともにあるもの」みたいに解釈しています。

「ふるさと」に、「~夢は今も巡りて、思いいずるふるさと」とありますが、それの陽水版で「~思いいずる少年時代」みたいな。

他の部分の歌詞もいろいろな解釈が可能です。宵かがり?夢花火?長い影が夜にのびて、星屑の空へ?そんな歌詞に思いを巡らせていると、陽水ワールドへの道が見えてくるようにも感じます。

言えていることは、陽水は人生を肯定も否定もしていないし、決めつけたりもしない。夢を持って羽ばたこうとも言わないし、長い冬が寂しいとも言わない。私の心は夏模様~UH~UH~UH~と飄々と歌う。そこがおしゃれであり、安心でき癒されるし、そしておもしろい。

結論として、世代を超えて味わえるこの名曲を創り上げた井上陽水は不思議な天才的芸術家だということです。