先日、TVをぼんやりと見ながら、元気をもらえたことを書いておこうかな。
一つは、シルヴェスター・スタローンの映画「ロッキー・ザ・ファイナル」。これ途中から見たのに、引き込まれました。
良かったシーンのまずはここ。すでに独立している息子が、仕事でうまくいかず悩んでいたときに、父親が久しぶりの試合に出ること、それがマスコミで大きな話題となっていることを知る。そしてうんざり気分でその父を訪ねる。「有名な親父のおかげでどれだけ苦労をして来たか、父さんはわからないのか。世間は父さんのことを道化者として笑っているんだ。僕も笑われる。お願いだからやめてくれ。」と怒りをぶつける。すると父ロッキーは、謝ったりはせず、「俺は俺の道を自分の責任で歩む。人生は困難がつきものだ。それに立ち向かっていくのが人生なのだ。自分のふがいなさを人のせいにするのは卑怯者のすることだぞ。」とこれまた大声で怒りまくりつつも息子を愛情深く見つめるこのシーン。
もう一つのセリフ、「夢にかけてみたい。たとえ夢で終わっても、挑戦する人生を選択したい。」…メモしたわけでないのですが、確かこんなロッキーのセリフも説得力あったな。
もうワンシーン。すぐにノックアウトされるだろうという世間の予想に反してフルラウンド激闘で持ちこたえ、最後は判定負けするのだけれど、意気揚々と満足げにリングを去るロッキー。そして後日亡き妻エイドリアンのお墓に赤いバラをささげる。すると息子もやって来て二人で抱き合う。
単純な私は、こんなロッキーから生きていくことへの力をもらえたのでした。
それから、もう1件、結構私の好きな番組、「しくじり先生」。
先週は、中田敦彦氏がサン・テグジュペリの「星の王子さま」を解説するコーナーがありました。いろいろ面白かったのですが、終わりの方で星の王子さまが毎日水を与えて育てていた「一輪の赤いバラ」というキーワードについて議論していました。生徒の方々が気づいたこと、中田氏があらためて気づいたこと、それぞれの感性をとても面白く思いました。そして見終えてから、私もふと思ったのです。一緒に生活している障がい者を「赤いバラ」と思うことにしようではないかと。当然「赤いバラ」とは似ても似つかず、まして、もはや愛する対象ともならないにもかかわらず。けれど不思議なことに、そう考えたことで、「一輪の赤いバラ」という言葉が少し可笑しくて、気持ちの中に赤いバラが少し広がり、少し楽になってきたのでしたとさ。