音楽高校生時代の恩師の告別式に参列し、そこで同期生と何十年ぶりに会い、彼女と帰りがけにランチをしてきました。
彼女は芸大に進まれ、現在も武蔵野音大で講師をされています。
高校時代も優等生だった彼女といろいろな話が出来てとても楽しいランチでしたが、今ふと、寝る前に思うのは自分のピアノのことです。
亡くなられた恩師から私は何度か「ソルフェージュの**先生があなたのことをとても評価していましたよ。」と仰っていただいていて、言われるたびにいつも自分ではそれを慰めか教師としてダメ生徒を元気づけるための褒め言葉だとしか捉えていませんでした。
自分の演奏のダメダメぶりをわかっていたし、とんだ場違いなところに入学してしまったとばかり考えていた音楽高校時代だったからです。
その思いはずっと続き、恩師と昨年それこそ卒業以来はじめてFacebookでつながったときも、恩師からまたまた「あなたのことを**先生が評価していてね。」などと温かなメッセージをいただきましたが、私の思いは同じでした。
ところが今日、同期の彼女が「私、あなたのシューベルトの楽興の時、今でも覚えているわよ。とても歌があって、その曲が好きなんだなって感じられていいなと思ったし、自分は歌うのがとても苦手だったから、あなたの演奏が良いなと思ったのよ。」なあんて嬉しいことを言ってくれました。
そ、そ、そんな!ひぇー有難う!私のピアノが???
思えば、基礎という基礎が何も出来ていないまま、うっかり入学してしまったハイレヴェルの音高で、とにかく曲に共感した思いをぶつけることしかできずにいたのです。弾き方も、プロがどんな演奏をするのかも知らなかったので、たぶん変てこりんに体を揺らし、自分流に音楽に入り込んでただただ無我夢中で表現していたのだと思われます。
そう、私って音楽が嫌いではないから音高へ進学したのだし、辞めなかったし、結構与えられた課題曲それぞれに共感してしまい、曲とつながってくると大好きになってしまい、へたくそなりに弾きまくる、そんなタイプで、その共感している部分を評価してくださっていたのだなと、今頃になって素直に恩師の言葉を受け止めらてきた感じです。音楽の大事な部分での評価だったし、昔より多少基礎が出来ている今では逆にそれを大事にしていかなければいけないことなのだと思えます。
それにしても恩師はやはり有難いものです。本当に本当に有難うございました。ご冥福を心からお祈りいたします。