声帯の不思議

やっと体調がもとに戻り、それは嬉しいのですが、良くわからないのが自分の声帯です。

先週はすでに咳はほとんど出ない状態でしたが、まだ少し疲れやすいかなという感じでした。そんなとき、声のほうは中音域はこれまで以上に出やすく絶好調であったにもかかわらず、高音域がどうあがいても、どう様々なイメージをしても全く出ないのでした。今後このままなのだろうかと、大きな無くし物をしたような気分でした。

ところが体調の回復とともに、1日1日と出る音域が1音ずつ上昇していく経験をしています。日曜日は「レ」まで、月曜日は「ミ」まで、本日火曜日は「ファ」までと出るようになってきました。このままいけば本来なんとか出ていた「ラ」くらいまではあと2日でしょうか。

続いていた咳が原因なのか、ごろごろしていたので声帯の筋肉が痩せてしまったことが原因なのか、良くわかりませんが、声帯という自分では見ることのできない繊細な筋肉についてとても不思議に思います。

そしてこんな時、昔から声楽家にあこがれていた私ですが、ああ、声楽家でなくて良かったぁなんて思いますね。

課題曲説明会

私のピアノ教室はコンクールは積極的には勧めていません。確かにコンクールは目標に向かって前向きになれるメリットがありますが、生徒さんによっては結果が出ないと自信を無くされたり、燃え尽き症候群のようになり、音楽と離れてしまう危険もあり指導者としては大変難しいものです。

とは言え、勉強のために、コンクール課題曲説明会のような講習会に行ってみたりすることもあります。

おもしろいのは、指導専門の先生と、プロのピアニストの先生と、作曲専門の先生と微妙に視点が違います。

例えば、ある女性の指導専門の先生は、生徒さんへの言葉がけが大変上手で、その魔法のような言葉がけはついつい言葉足らずになってしまう私としてはとても参考になります。が、「参考CDより遅く弾いては不利ですから速めの演奏をするようにしてください。」を強調されていた点は、こどもの音楽的成長をコンクール対策という1点にのみ合わせてしまう感じで、あまり良い気がしませんでしたが…。

そこへいくと、現役男性ピアニスト先生は違いました。僕はこの曲をこう感じます、と理論的にも自身の感性としてもはっきりと的確な言葉で説明しながら表現して聞かせてくれます。コンクールではなく、コンサートであるかのような視点です。

ただ、こども達がどれだけその素晴らしい音楽を吸収してくれるかといえば、個人差が大きいし、指導力も試されます。

先日は作曲専門の先生の講習会に行ってみました。和声の変化、変わったメロディの発見、旋法の使われ方、など、普段見落としてしまいそうな楽譜上の魅力をたくさん指摘してくださり、指導者としてというより、普通に自分にとってとても勉強になりました。

その先生の余談コーナーでは、「演奏中の大げさに感情を込めた無駄な動き、あるいは、いかにも的なお腹を押さえてどうしたのみたいなお辞儀は、コンクールの審査に全く関係ありません、弾いてる人が何かを感じてくれているなという美しい音楽が大事なのです。」と仰っていました。

これも同感でした。美しさや楽しさを生徒さんと一緒に発見できる先生でなければいけないということですね。

春の嵐

めったに体調を崩すことはないのが唯一の自慢で生きてきました。それでも50代頃からは年に1度ほどは、えっと家族を驚かしてしまうことがあるのですが、今回も、それに該当しています。

先週初め、いっさい食べられず動けずが1日あり、仕事も休み、翌日やっと病院へ行くことができ、薬をいただいてなんとか生還したのです。

これが結局なんだったのか良くわからないまま、5日後の日曜日は食べられるようになった幸せをかみしめつつ、料亭で母の卒寿祝いをしました。

この日はずっと元気に1日過ごせ、家事も普通にこなせたし、卒寿祝いの宴も楽しめたし、めでたしと終えるところでしたが、その晩からまた下り坂です。

こんどは気管支にきました。慣れないカラオケを病み上がりで一生懸命歌ってしまったのが良くなかったのでしょう。

以来なんとか、仕事は休まずにいますが、今週などは時間があれば、ひたすらごろごろせざる得なく、食事も「なんか適当に買ってきてー」と夫や息子にお願いするばかりです。

今週は本当なら、11月に開催する大人の発表会「ブリランテの会」の要綱を作成し、配送する予定でいたのですが、次週に持ち越しです。

こうしてブログを書けるくらいには回復し、全快まであと少しですのでご心配は無用ですが、ブリランテの会の関係者様、そんなわけで遅れております。

今回の私の不調で、一番青ざめたのが息子かもしれません。「介護失職」の文字が浮かんだそうです。ゴメンゴメン、今後気を付けますよ。

今回の不調をきっかけに、還暦過ぎた方のブログを拝見していると、体調に関して「未知との遭遇」という表現をされている方がいましたが、まさに私はこの春、未知との遭遇を果たしたのです。

恩師

音楽高校生時代の恩師の告別式に参列し、そこで同期生と何十年ぶりに会い、彼女と帰りがけにランチをしてきました。

彼女は芸大に進まれ、現在も武蔵野音大で講師をされています。

高校時代も優等生だった彼女といろいろな話が出来てとても楽しいランチでしたが、今ふと、寝る前に思うのは自分のピアノのことです。

亡くなられた恩師から私は何度か「ソルフェージュの**先生があなたのことをとても評価していましたよ。」と仰っていただいていて、言われるたびにいつも自分ではそれを慰めか教師としてダメ生徒を元気づけるための褒め言葉だとしか捉えていませんでした。

自分の演奏のダメダメぶりをわかっていたし、とんだ場違いなところに入学してしまったとばかり考えていた音楽高校時代だったからです。

その思いはずっと続き、恩師と昨年それこそ卒業以来はじめてFacebookでつながったときも、恩師からまたまた「あなたのことを**先生が評価していてね。」などと温かなメッセージをいただきましたが、私の思いは同じでした。

ところが今日、同期の彼女が「私、あなたのシューベルトの楽興の時、今でも覚えているわよ。とても歌があって、その曲が好きなんだなって感じられていいなと思ったし、自分は歌うのがとても苦手だったから、あなたの演奏が良いなと思ったのよ。」なあんて嬉しいことを言ってくれました。

そ、そ、そんな!ひぇー有難う!私のピアノが???

思えば、基礎という基礎が何も出来ていないまま、うっかり入学してしまったハイレヴェルの音高で、とにかく曲に共感した思いをぶつけることしかできずにいたのです。弾き方も、プロがどんな演奏をするのかも知らなかったので、たぶん変てこりんに体を揺らし、自分流に音楽に入り込んでただただ無我夢中で表現していたのだと思われます。

そう、私って音楽が嫌いではないから音高へ進学したのだし、辞めなかったし、結構与えられた課題曲それぞれに共感してしまい、曲とつながってくると大好きになってしまい、へたくそなりに弾きまくる、そんなタイプで、その共感している部分を評価してくださっていたのだなと、今頃になって素直に恩師の言葉を受け止めらてきた感じです。音楽の大事な部分での評価だったし、昔より多少基礎が出来ている今では逆にそれを大事にしていかなければいけないことなのだと思えます。

それにしても恩師はやはり有難いものです。本当に本当に有難うございました。ご冥福を心からお祈りいたします。

ピアノ学習教材

ピアノ学習者用の教材は昨今とてもたくさんの種類があり、指導者にとってどの教材を使用するか、大変悩ましいです。

初級、中級の生徒さんが公のコンクール等イヴェントに参加する場合、課題曲が決められていると、課題曲には必ず新しい教材からの曲が含まれています。やはりそこは参加する生徒の指導者としては見たうえで判断したいということになると、レッスン室にはまたまた新しい教材が増えてしまいます。

新しい教材を見るとそれぞれの良さがあります。そんな中からこの生徒さんにはこれかな?というように、一人一人に応じて選択はしていますが、また別の新しい教材が来ると、こっちの方が良かったかしら、などと迷うことも。

これと、これと、これで良しと確信を持てると良いのですが、時代とともにマッチする曲も変わり、生徒さんの目的や個性も様々で、難しい選択となります。

例えば初級コースで最近人気のバスティンやアルフレード等アメリカの教材の場合、家庭環境的にジャズやポップスを聞きなれている生徒さんは割に受け入れてくれますが、そうでない生徒さんはやはり違和感を持つようで、日本人による教材のほうが好きになってくれます。

その日本の教材もよく考えられているものが多いのですが、次々新しい本が出版され、選ぶ側としては選択肢が多すぎて考え物です。

そのほかハンガリーの教材、フランスの教材、ロシアの教材もあります。

世界各国のお料理を前にどれを食べさせようかみたいな感じでしょうか。

私のころは、とにかくバイエルとメトードローズから出発。そしてブルグミュラーからインヴェンション、ハノン、ツェルニー、ソナチネ。このあたりでロマン派の華やかな曲を入れながらソナタへ。がお決まりコースでした。先生は教材に悩むことなど無かったであろうなぁ。特に私のような平凡な生徒では。

溢れんばかりの教材の渦巻きに足をすくわれないように、何を学んで欲しいか、何が必要か、指導者として常に肝を据えて考えていなくてはと思うこの頃です。

レッツ・スィング

毎週木曜日の午前中は「レッツ・スィング」というシニアのコーラス指導へ出かけます。レッツ・スィングは団員40名ほどの混声合唱で、皆さん60才以上の方々です。

来月、浦和の合唱祭に参加するため、昨日はそこで歌う曲を中心に練習をしました。合唱祭で歌う曲は合唱曲の定番、「翼をください」と「大地讃頌」です。

2曲ともこの団では以前に歌ったことがあるのですが、今回再び取り出してみました。再び取り出すと、団員の方たちの曲への理解が早いのと、以前よりも美しく歌いたいという全員の共通認識もあるため、指摘もさらに細かくすることが出来ますし、音楽に対する理解も深められ、レヴェルアップにつながります。

昨日も「翼をください」では「いまー~」の出だしから注意です。「い」も「ま」も母音が正しく響いていないからです。「大地讃頌」の出だしも然り。前奏が3拍しかないので「ははなーる」の準備が遅く体が開かないまま発声してしまうからです。

この調子で特にソプラノ独特の「70代発声」を、顎の力を抜く、下唇の力を取る、下腹のエネルギーをもっと息に直結させる、などと「自然な響き」を目指し変えていきました。

「文字を歌うのでなく、息で音楽のフィギュアを作るのだ」とも伝えました。

レッスン終了後、ソプラノの古くから在籍しておられる方が、私のところへ来てくれて、「今日は嬉しかった。なんだか今日わかった感じがありました。今まで自分は何をやっていたんだろうと思えました。少し出来たかんじでした。」と涙目で伝えてくださいました。

年齢に関係なく、いつまでも良い方向へと意欲を持ち、少しづつでも前進してくださる姿を拝見でき、またそんなお言葉をいただけて、嬉しいのは私でした。

おかあさんコーラス大会

昨日はおかあさんコーラス大会午後の部に出演してきました。

演出を楽しませてくれる団体や、人生を歌い上げてくれる団体ありで楽しめました。

我が「コール・エーデルワイス」も結構健闘してくれ、私としても満足な出来でした。

終了後にいただく講評では、3人の先生ともに柔らかく美しい声、丁寧な音楽作り、レガート表現が美しい、と書いていただけました。ただし、3人ともにフォルテが欲しい、身体全体を使ってください、とも書かれました。

そりゃあね。あと10代若ければ、いくらでも改善しますわよ。これでも少しづつは改善してますねん。

終了後の指揮者専用の着替えの部屋で、他の指揮者どおしの会話を聞いていましたら、「うちはもう50代が多くなってしまったんですよ。」と一人の先生、「あら、うちなんか若い人というのが50代でほとんど60代になってきたわよ。」ともう一人の先生。

「げげ、うちなんか若い人が60代、ほとんどが70代、皆様と1世代2世代違うでよ。」と私の内心。

同じ舞台に出演し、美しい声、柔らかな声と言われるだけでもすごいことだと思えたのでした。

さあ、今後どうやって70代女性からさらなるフォルテの声を引き出そうかしら。発声や呼吸において初心者の底上げをし揃える、ピッチを揃える、あとはSTAP細胞を待つばかりかな。

コーラス指導

コーラス指導を始めてから10年以上になります。若い頃からコーラス伴奏の仕事はしていたのですが、指導のほうは、与野の「コール・エーデルワイス」という団で指導者が体調不良で辞められ、急遽団員の方々に頼まれて始めたのがきっかけでした。

初めは音楽的に気付くことを指摘できても、発声も指揮も自分でわかっているようないないような。初めて指揮者として舞台に立った本番のビデオを家族と見たときには、お笑い番組より確実に笑いをとれていたものでした。(なんと正直な家族をもったものだ。)

以来、現在5か所でアマチュアコーラスの指導をしていますが、私自身の声、呼吸がこの10年でずいぶん進化したこと、団員の方々との交流によりピアニストをしていたときよりはるかに社会勉強ができ、またそのことが自分の音楽の幅をより広くさせていただけていることは本当に幸せなことと感謝しています。

今週末、「おかあさんコーラス大会」というイヴェントに「コール・エーデルワイス」が出演するため、今日は最後の仕上げ練習に行きました。やっと最近発声も指揮もなんとか自分なりに確立してきましたが、10年の年月は団員の年齢を押し上げ、いつのまにか多くが70代と80代もぼちぼちと。

しかししかし、皆さん元気に「足の裏からパワーを引き上げなさい」の指摘に応じて美しい声で頑張ってくれていました。そして「年齢を感じさせないように歩いてね」と皆で出入りの歩き方を見せ合っては大笑い。

コンクールに出場するような団ではないけれど、長年指導にかかわってきた団はいつしか私の大切な音楽仲間となってくれています。

三島甘藷

長女が昨年4月からの1年間、伊豆の三島勤務でした。昨年の晩秋にTVで三島への旅番組があり、偶然見ていると、三島甘藷が紹介されました。「おいしそう~!長女に送ってもらおう!」で、さっそく伝えました。

ということで我が家には石焼き芋を作れるセラミックの窯のような鍋があり、これが昨年以来大活躍です。ほぼ毎日夫と15センチくらい?食べています。夫はもともと芋は食べないタイプでしたが、私よりハマってしまい、夕方になると自ら進んで鍋を火にかけています。

三島甘藷は、甘藷というだけに、スイーツのように甘く、そして水分が多めなのでしょうか、飲み物無しでも咽ずに食べられます。かといってべとべとしているわけでなく、柔らかくマッシュした食感です。

娘から今年2箱目が届きました。

夕方レッスン室から出ると何やら例のほのかな匂いが家中漂うこの頃。ちょっとイメージ的にクラシック音楽とは微妙なのですが、甘く柔らかく温かく、そんな音楽もありますしね…。

今日からブログ開始

本日よりブログ第2弾の開始です。第1弾は家族のことが中心でした。

今回は、街のピアノの先生とコーラスの先生としてのブログで出発します。よろしくお願いいたします。

さて、ではさっそく。

私のピアノ教室では大人の生徒さんには基礎練習の教材は特に指定せず、その都度問題があるときに練習方法をアドヴァイスしていました。

ただ、このところこれを大変反省しています。

アマチュアの方が好きな曲に挑戦なさるときに、気付かぬうちに身体に負担がかかってしまうようなのです。

練習方法のアドヴァイスのみですと、音大コースの方ならそれで納得していただけても、アマチュアのかたにとってはその意味を今一つ体得しづらいのかもしれません。それは、試験や失敗できないくらいの発表の場で育つプロやその卵と違い、ピアノを弾いて楽しみたいというアマチュアの方の純真な気持ちや、これまでの曲数等音楽的経験の差から、基礎練習の要領がうまくつかめず、従ってその有効な時間がなかなかとれないからではないかなと思います。

今月から、レッスンの前に簡単な8小節の準備体操と初心に戻ってスケールをゆっくり弾いていただき身体に負担が無いか等チェックしようと思います。

例えばコーラス教室ですと準備体操と正しい発声のチェックは欠かせませんから、同じことですね。身体は大事。いまだに反省反省。