



さいたま市見沼区でピアノ教室とコーラス教室を営んでいます。
猛暑が去り、すっかり秋になりました。朝晩冷え込むようにもなりました。この秋冬はピアノを演奏する機会がなんだかんだちょこちょこあり、老いてはいられず、部屋を暖めて楽譜とにらめっこするこの頃です。そう言えば、少し前に、ガーシュインのラプソディインブルーを友人と連弾で弾きました。これは仕事ではなく、仲間内の発表会みたいなコンサートでしたが、久しぶりにとても楽しく演奏できました。弾きながら、あらためてガーシュインの魅力に引きこまれ、楽しく弾かずして何の意味があるみたいな心境でした。考えてみれば、普通のクラシック曲もそうなのですよね。
先日、浦和コミュニティセンターホールにて、平均年齢80歳を超えた私の誇りの合唱団「レッツ・スィング」が、所属している浦和連協の「クラブ活動交流会」という催しで3年ぶりにコーラスを発表しました。「レッツ・スィング」は一昨年20周年記念コンサートを開催する予定でチラシやチケットまで作成し準備を進めていましたが、コロナの流行で断念せざる得なくなり、それ以来、練習も中断したり再開したりの活動となり、発表の場は全く無くなる状態でした。
今年は現段階においてだいぶ感染者が減り傾向ということで、ようやく発表出来る運びとなり、久しぶりに舞台上でマスクを外して気持ちよく歌うことが出来ました。
コロナ禍の中でずっと温めてきたそれぞれの曲でしたので、今回とても素晴らしい演奏だったと自画自賛しています。曲は「ゴンドラの唄」「銀色の道」「無縁坂」「長崎の鐘」「昭和の歌メドレー、白い花の咲くころ~鈴かけの径(みち)~山小舎の灯(ともしび)」でした。どの曲も懐かしい名曲ですが、その中の「長崎の鐘」(サトウハチロウ作詞 小関裕而作曲)は、団員よりいくらか若い私は実はもともと知らず、団員の希望曲として知ったのをきっかけに、昔の音源を聴きながら合唱用に私が編曲してみたものです。
さて、数年前に練習する曲としてこの「長崎の鐘」を選曲をしたときに、もとになっている実話に接すると、さらにこの曲が胸に響きました。原爆投下地の長崎での実話をもとに作曲された曲だったのです。
この夏に九州宮崎へ義母の納骨式のために行きましたが、帰りに長崎へどうしても寄りたくなったのはこの曲のおかげです。平和公園と永井隆記念館と浦上天守堂は是非とも周りたいと思い実現させてきました。長崎をさっと観光してみて、長崎の街は原爆とキリスト教との重い歴史を地層の中にしっかり抱え込んだ街と思えましたが、グラバー園などの素敵な洋館や大変急な坂の上から見える港や海の景色がそれらの重さを外交的な気概へと向かせてくれている、そんな街にも思えました。
話を戻しこの「長崎の鐘」ですが、大衆歌謡曲としてではなく、平和への祈りや日々の救いを得る名曲として、これからも合唱団で歌い続けていきたいと願っています。またいつの日かレッツ・スィングの歌う「長崎の鐘」をアップしてみたいです。「長崎の鐘」の元になっている実話をご存じない方は、是非「長崎の鐘」や「永井隆」で検索なさってみてくださいね。
8月ももう終わります。今年はコロナと猛暑のダブルパンチのような夏でした。暑くて動く気が起きなかった日も多かったですが、私はなんだかんだ忙しい夏でもありました。
この夏の大きな出来事として、3月に97歳で大往生した義母の納骨式とお仏壇の我が家への引っ越しと初盆の執り行いがありました。納骨式はお墓のある宮崎で行い、お仏壇は我が家の押入れをリフォーム工事してお迎えし、初盆はお坊さんに我が家に来ていただき身内が集まりました。
この歳になるまで両親や兄姉任せの法事でしたから、特に信心深いわけでもない私は慣習のままに過ごすのみで仏教とは全く希薄な関係でしたが、この夏、ご仏壇をお迎えしたりお墓の管理をしたりお盆を執り行ったりすることで、仏教についてその教えについて調べたり聞いたり考えたりせざる得なくなりました。でもそのことは私の精神面を私なりに成長させ落ち着けさているみたいなところもあり、忙しかったけれど年齢的にも良くお似合いの夏の出来事だった気もいたします。
さて、コンサートも一つありました。大宮音楽家協会恒例の「名曲コンサート」ですが、連弾で「新世界より」2楽章テーマ&4楽章を弾きました。(レイボック小ホール)ドヴォルザークに思いを馳せつつ曲と深く向き合うこと、パートナーと合わせてみること、それらはとても勉強になりました。ところで、ドヴォルザークは大変な鉄道オタクだったそうです。それを知ったことは、今回の「新世界より」の細かな解釈へと大いにつながりました。
大宮駅東口徒歩3分という好立地に今年4月にオープンしたレイボックホールの大ホールへ昨晩行ってきました。もちろんコンサートです。ピアニスト辻井伸行とヴァイオリニスト三浦文彰とARKシンフォニエッタによる全国ツアーです。昨晩は、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とピアノ協奏曲4番でした。指揮は三浦文彰で、ヴァイオリンコンチェルトは弾き振り、ピアノコンチェルトは指揮者に徹していました。
演奏がとても素晴らしかったです。世界的なお二方の演奏を身近な地元で聴くことが出来、音楽的にも技巧的にもそれぞれ実に素晴らしい演奏でしたから、この夜はとても嬉しく満足でした。
また新しいレイボック大ホールでコンチェルトを聴いてみて、ホールの音響も結構良かったです。ソリストの音が細部まで良く聞こえますし、オーケストラも迫力を感じさせてくれました。金管楽器がすぐ後ろの反響板のせいか少し響き過ぎる気もしましたが。(ホールは満席でした。)
それから三浦文彰さんはヴァイオリンのみならず指揮者としても凄い方でした。溢れるような才能がビシビシ伝わりました。偉大なベートーヴェンに再会出来たようなそんな気持ち良さを味わうことが出来ました。
大宮は我が町ですので、こうしてどんどん質の良いコンサートを開催して欲しいと願っています。願わくば…、サッカー…アルディージャも…頑張っておくれ~~(-_-;)
6月3日にすみだトリフォニホールにて開催されたアルゲリッチ&フレンズ~イヴリーギトリスへのオマージュというコンサートへ行ってきました。80歳を超えてもなお現役第一線で世界を股に活動してくれているアルゲリッチを、同じく高齢の私が生きているうちに(アルゲリッチさんとは一回りくらい違うけど)聞いておきたいと思い、先行予約でなんとかチケットを手に入れました。
満席のすみだトリフォニーホールのだいぶ後方の席で(それでも手数料入れてなんだかんだ9000円くらい)、舞台が夢の中の様に小さく遥か彼方に見えるため、どんなふうに聞こえてくるのか始まるまで不安でした。
が、1曲目のフランクのヴァイオリンソナタのピアノのイントロでその不安は消えました。なんと美しい音色。これまで何度となく聴いている曲ですが、初めて聴くような誘い込むような幻想的な美しさに、一瞬でわー来て良かった、と思いました。ホール自体の反響構造のみの音響なのか、それとも全曲マイクをセッティングしていたので音響機器を微妙に使用していたのか、そこらへんがわからないのですが、ともかく自然なぬくもりのある生の音色を終始堪能できました。
日本のソリストとの室内楽のコンサートでしたがアルゲリッチさんがトークの後サービスで、ショパンの「パガニーニの思い出」をソロ演奏してくれました。それがまた実に絶品でした。
私なりに感じるのは、アルゲリッチのピアノは自然な流れの心地良い音楽でありながら、やはり全体像の骨格がしっかりしていること、すべての音に意味があり多彩な音色で魅力的にコントロールできていること、室内楽においても見事に誘導したり盛り上げたり寄り添ったりしながらかつ強引さは全くなく共演者とともに作品を完結させていること、などなどです。そんな超熟練された素晴らしさをじっくり感じながら、感動感激してきました。
トークコーナーでギトリスとの具体的な逸話などをもう少し聞きたかった気もしますが、インタヴュアーさんの質問はイメージで例えるとみたいなものばかりで、アルゲリッチさんも戸惑っていらっしゃり、聞く方もよくわからないコーナーになってしまったのが少し残念な点だったかな。
とは言え、久しぶりにレッスンをキャンセルさせてもらい出かけて来ましたが、素晴らしい演奏にとてもリフレッシュ出来たのでした。夫も無事に留守番出来、帰宅時にはすでに寝ててくれてなんとか万事OK。
4月末に発表会が終えたので、5月の連休は例年になく休養させてもらいました。楽しかった思い出がいくつか出来ましたが、やはりベストは2歳の孫と二人でSL体験したことです。大宮から熊谷に出て秩父鉄道のパレオエクスプレスに乗りました。孫も緊張気味、私もSL初体験なのと、大事な孫に何かあってはいけないので全身のあらゆる神経キンキララです。
始めの計画ではお花畑駅まで行き、西武秩父から西武線で戻ろうと考えていましたが、乗っているうちに2歳の子には少し負担にも感じて皆野駅で降り、熊谷に戻りました。孫は初めは本物のSLの大きさや汽笛の大きさにびっくりして私から離れず、おかげで写真も上手く撮れなかったのですが、皆野駅で降りて全体像を見られたときはすっかりいつもの鉄道オタクの顔になっていました。車内で買ったパレオエクスプレスの走るおもちゃを大切に握って寝てくれていると聞き、バアバはあらためてキュン。なんとか元気な我が身で良かった。
発表会は無事に楽しく終えることが出来ました。皆さん、忙しい中よく頑張りました。私も含め成長出来た点も、今後の課題もそれぞれ見つかったようにも思います。今回のゲストはクラリネットの寺島由紀子さんにお願いしました。おかげさまで華やかに締めていただけました。
さて、新しいホールですが、なんと言っても新品の超高級ピアノが素晴らしかったです。ちょっとした微妙な手加減にぴったりついてきてくれるので、弾く側の気持ちや技術的なコントロールがそのまま響いてくれますから気持ち良いと同時に、もっともっと音楽的にコントロールしていかねばいけないとも気付かされます。ピアノから教えてもらえるといった性格の良い名ピアノでした。んー千万の楽器ですので、普通の家庭に持ち込むことは不可能ですから、この感触をずっと忘れないようにすることが大事ですね。
コロナですっかり出不精になり、この間に出演したコンサートはいくつかあるのですが、聞きに行ったコンサートは今日、2年ぶりくらいです。彩の国さいたま芸術劇場にて、アンヌ・ケフェレックのピアノリサイタルを聴いてきました。ケフェレックさんは調べてみると74歳でいらっしゃいます。日本女性のような小柄な体型の方でした。バッハの小品等とモーツァルト変ロ調のソナタ、休憩を挟んで後半はフランス近代の作曲家の小品集というプログラムで、大曲は一つもなく、全体的にはヨーロッパの街並みに飾られた色とりどりの花々が目に浮かぶような雰囲気のコンサートでした。とは言え、悲哀や絶対的な虚無感(サティの小品とか)のような要素もあるのですが、感情的な処理では無く、構成感のあるとてもコントロールの効いた素晴らしい演奏でした。
ドイツに住む友人から聞く所、ヨーロッパのほうでは、地続きということもあり、ウクライナ情勢が日本以上に大変深刻な問題であると聞いています。ケフェレックさんの演奏にも平和への祈りのようなものがあり(最後に弾かれた曲は、フローラン・シュミット作曲「弔いの鐘」という曲でした)、演奏後に無頓着に拍手して良いものか迷いましたが(それぞれの小品の間の拍手は禁じられていました)、平和への祈りの共有という意味でその素晴らしい演奏に拍手をしてきました。
久しぶりの生演奏はyou tubeとは何気に違う勉強にもなります。先月末から大忙しのバアバ業でしたがこのところやっと普段の生活に戻れ、なんだか久しぶりの外出が気晴らしにもなりました。
先月末に娘が二人目を無事出産し、先月から2歳の長男と共に里帰りしています。以来私はご飯を3回作って、あちこち片付けて、上の子と公園行って、赤ちゃんをお風呂に入れて、普段のレッスンをして、夜の片付けの後も上の子の相手をして、少しピアノの勉強をしてみたいな生活です。
思えば、一人目の里帰りのときは、私は張り切り過ぎたせいか、原因不明の腹痛が起きて病院へ行く騒動がありました。結局その時は疲れと容量オーバーの義務感からくるストレスだったようです。今回は、張り切り過ぎないことを肝に銘じつつ、無理のないよう娘家族を応援しています。可愛い孫に癒されながらその時間を大切にするよう心掛けているところです。
頼りにまるでならない夫もいるので忙しいーのですが、案外、これまでの生活に無駄な時間も多かったことにも気付かされました。無駄にyou tubeを見たり、無駄にゲームとか…。そんな無駄を省いてみると、何とか1日を無事に終えることが出来ています。
ニュースではウクライナの悲惨な現状が報道されていますが、こうして無垢な幼い命に接っしていると、争いの無い平穏な世の中がどんなに尊いことであるか、心から平和を祈らずにいられない気持ちになります。